2014/05/16
2013/10/21
崩落の可能性が指摘されている弘前城天守付近の石垣の修理範囲について“はらみ”の大きい2カ所とした。修理は天守の移動を伴う大掛かりなもので、本格的な工事は2016年度からを予定している。
弘前城は昨年、築城400年の節目を祝った。弘前藩祖津軽為信が築城を計画。建設は2代藩主信枚に引き継がれ、1611(慶長16)年に完成をみた。弘前城を中心に城下町が形成され、今の弘前市の街並みへとつながっている。
直近では1896(明治29)年に崩落し、修理が1916(大正5)年まで行われた。今回は約1世紀ぶりの修理となる。
今回の試掘調査では築城当時の慶長時代、石垣東面を普請した元禄時代、崩落により修理した大正時代の石の状態を確認するため、堀の水抜きなどを行って石垣の基礎となる根石や胴木の状態など3カ所を発掘した。
今回の修理工事で注目されるのは天守の移動。天守を解体せずに移動する曳(ひき)家(や)工法を採用し、現在の天守台から北西方向に約70メートル離れた仮の移設場所まで移動し、その後も天守内部は公開する。天守の移動は石垣修理に先立つ2015年7月から10月まで行われる見込。
弘前城天守は江戸時代当時の姿を現在に残す国内の現存12天守の一つであり、国重要文化財、東北地方唯一の現存天守でもある。あの白亜の建物が形を変えずに移動する様は壮観だろう。修理期間中は展望デッキを造って工事の状況を見学できるようにするという。めったに見ることのできない天守の移動と石垣修理は絶好の観光資源にもなる。国内外にPRを図っていきたい。
藩政時代は津軽領統治の中心として重きをなし、近代以降は弘前市の最も重要な観光資源、そして何より市民の憩いの場として存在する弘前城。将来にわたって弘前市の象徴であり続けるよう、大切に保存し、生かしていって欲しい。 (陸奥新報さんより抜粋)
2013/07/18
今年度の立佞武多の題材は「梵珠北斗星」
梵珠山は青森市と五所川原市にまたがる標高468メートルの山で、稀代の大陰陽師・安部晴明が法乗寺を建立したという伝説が残る神秘の山です。
この梵珠山の五所川原市前田野目地区に点在する「松倉神社」、「三観音」、「梵珠釈迦堂山」、「東薬師堂」、「麻利支山最勝院」、「川原地蔵堂」、「梵呪山真言院」を結んでいくと、北斗七星の配列になっているという「梵珠北斗星」伝説が注目を集めています。
「人々にパワーを与える題材を」と考えていた立佞武多製作者の齊藤忠大さんは、この伝説にインスピレーションを得て、「梵珠北斗星」を平成25年度新作の立佞武多のテーマに選びました。
そこで今回、
この梵珠北斗星伝説に関係する場所へ弊社の名物乗務員:秋元正俊が行ってきました!!
津軽三十三観音の二十五番札所となっている松倉神社。
子宝の神・淡島神社など・・・
通称「かもしかの道」を通り・・・
歴史に思いを馳せ梵珠山展望台から神秘の森を眺め来たようです。
2013/04/03
2013/02/27