明治時代から大正時代(初期)にかけて、高さ10間以上(約18m)の巨大なねぷたが街を練り歩いたと言われており、その巨大な姿は隣町からも見えたほどといわれ、1996年高さ約20mの巨大ねぷたを復元し1998年から毎年製作され、その大きさを一目みたいと近年まつりにおとづれる人が年を追って増えています。 祭り期間は毎年8月4日から8日までです。
いまや全国的にもその名を轟かす五所川原「立佞武多」。 1台の規模は、7階建のビルに相当する高さ約22メートル、幅6メートル、重さ約17トンにも及びます。 その威容を望むことができるのは、毎年8月4日より8日までの祭り期間のみでしたが、「立佞武多の館」では、この大型立佞武多3台を常時、観覧できる他、併設の製作所では、これらの巨大ネプタの製作現場も見学できます。
また館では、金魚ネプタなど、津軽の民工芸の製作体験や五所川原ネプタ囃子練習の見学、青森県ゆかりの意匠を展示するギャラリー、最上階では、岩木山、八甲田山、梵珠山、津軽平野の展望を食事とともに楽しめます。
全国で五所川原だけが生産加工している果肉まで赤い「赤~いりんご」。その木を約380本、約1キロメートルに渡って植栽しています。このリンゴ並木道は、見頃の秋は勿論、見るも鮮やかな真紅の花で街を彩ります。
新しいのに、懐かしい・・・・・・。津軽金山焼には、現代に生きる私達の心を潤す温もりがあります。金山の大溜池の底に堆積していた良質の粘土、山林には風雪に耐えてきた大量の赤松。陶芸に最適な資源を得ることと、自然を整え生かすことを心に。かつてこの地にあった須恵器の強い影響を受けた津軽金山焼は釉薬を一切使わずに、1300度の高温でじっくりと焼きあげて固める「焼き締め」の手法で、深みのある独特の風合いをそなえた焼き物を生みます。
津軽三味線会館は、津軽三味線の歴史、民謡、郷土芸能等を紹介する展示室をはじめ、舞台演奏ができる多目的ホール、野外ステージがある施設です。
多目的ホールでは毎日、津軽三味線のライブステージと津軽三味線物語、観光ビデオシアターが上映されています。また、ゴールデンウィーク期間中に津軽三味線全日本金木大会が開催され、全国から出場者が訪れます
■作家:太宰治の生家。明治の大地主、津島源右衛門(太宰治の父)の手で建設された入母屋作りのこの建物は、明治40年、米蔵にいたるまで日本三大美林のヒバを使い、当時のお金で工事費約4万円をかけて造られました。
■階下11室278坪、2階8室116坪、付属建物や泉水を配した庭園など合わせて宅地約680坪の豪邸です
テニスコートや野球場等のスポーツ施設や図書館、歴史民俗資料館等の公共施設が集まる場所ですが、花菖蒲の名所としても有名です。69品種、5万株が華麗な花を咲かせます
五所川原から中里までの広大な田園地帯を約20キロ、津軽鉄道は旅情漂う景色の中をのんびり進みます。夏には各車両・客室内に風鈴や短冊が下げられ「風鈴列車」に(7月1日~8月31日)。秋には客室内に鈴虫の籠が取り付けられ「鈴虫列車」へと変わります(9月1日~10月中旬)。そして冬になるとダルマストーブが車内に設置され「ストーブ列車」となり、身も心も温まりながら、車窓からの銀世界を満喫することができます。
五所川原市東部は溜池の多い地域。主に農業用水として用いられていますが、もともと五所川原市は萢地の多い地域。その名残と整備された現在の姿が妙景を醸し出しています。大溜池、長橋溜池、そして堺野沢溜池が有名ですが、特に堺野沢溜池は入り組んだ地形、芦の景観、周辺は遊歩道で整備されており、美しい風光を見せ、憩いの場となっています。
平山家は、弘前藩広田組代官所手代、堰奉行大庄屋を兼ねた郷士豪農であった。広大な屋敷地に母屋、離れ、土蔵、前屋敷が配されている。主屋は江戸時代の後期、明和6年(1769)頃、表門は天保年間(1830~44)に造られたものとされている。現在の主屋は18.5間の桁行、6.5間の梁間、前後に一部下屋を構えた形であるが、しかし原形は桁行6間の直屋とみられる。武士ではなく農家であるためか、座敷飾りや造作は簡素である。ただし、津軽藩に対する数々の功労により6代目平山半左ヱ門のとき津軽9代藩主寧親侯より許されて表門が建てられている。この点が農家では珍しい。
津軽地方に現存する当時の建物では最も古いといわれており、表門・主屋が国指定重要文化財に指定されているが、中は自由に拝観する事ができるようになっている。 隣接して五所川原市歴史民俗資料館がある